●1980年(昭和55年)、フォークシンガー「おだこうへい」のプロデュースを開始。
●1980年(昭和55年)、「山の手線夢巡り」(作詩・作曲/竹内筆流 歌/桂 幸丸)制作。当時、行列のできるほど人気のあった宝くじのおばちゃん、竹内筆流さんからの制作依頼だった。「音のメルヘン屋」が渋谷で「じゅげむ&めるへんず」(メルヘンステージカントリークラブ)「悪のり音頭」の路上パフォーマンスをしていた時に知り合ったのだ。
●1981年(昭和56年)、「音のメルヘン屋」に、録音スタジオ「メルヘン砦スタジオ」が完成する。以前あったスタジオの何倍もの大きさと、設備である。この時、音のメルヘン屋自体も、以前の2倍以上の広さとなった。「メルヘン砦スタジオ」という名は、「メルヘン村」プロジェクトのまさに名残りといえるだろう。
●1982年(昭和57年)、「おだこうへい」のセカンドLPレコード「蒼翼」が「SOUNDSUNレコード」より発売される。音のメルヘン屋の「SOUNDSUNレコード」というレーベル名はこの時に生まれたと推測する。同時にスタジオ名「SOUNDSUNスタジオ」と変更される。後にレコーディングに訪れたランキンタクシーらにジャマイカのスタジオのような名前と作りだと言われたのはまだ記憶に新しい。「メルヘン砦スタジオ」という名前はじつに一年しかつかわれなかったというわけである。
●1982年(昭和57年)、現役保母さんシンガー「チャッピー」のプロデュースを開始。LPレコード「僕のともだち」が「音のメルヘン屋」より発売される。
●1983年(昭和58年)、バレンタインデー用「ハート型レコード」を制作する。(特許取得)
●1983年(昭和58年)、フォークシンガー「おだこうへい」のLPレコード「蒼翼」がエピックソニーから発売される。
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下の曲名をクリックするとおだこうへいの曲が試聴できます。 |
試聴:赤いバスケットシューズ |
作詞/おだこうへい
作曲・編曲/水戸雀尊
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●1983年(昭和58年)、「チャッピー」LPレコード「幻想の世界」が「音のメルヘン屋」より発売される。
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下の曲名をクリックするとチャッピーの曲が試聴できます。 |
試聴:夢のブランコ |
作詞/中島世津子
作曲/中島世津子
編曲/水戸雀尊 |
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●1985年(昭和60年)、日本テレビお正月クイズ番組にて、「チョコレートでレコードが作れるか?」というクイズの取材を受ける。リポーターに早見憂が来社し、実際に「チョコレートのレコードを制作」。クイズは正解で、たしかに音楽が鳴った。・・・が、チョコが熱でだんだんと溶けてきてしまうため実用性はなかったが、これほど音のメルヘン屋という名前に相応しい仕事依頼はないのではないだろうか?
●1985年(昭和60年)、百姓シンガー「須貝智郎」をプロデュース。音のメルヘン屋のレーベル「SOUNDSUNレコード」より、LP「翔ぶべ」を発売する。
●1985年(昭和60年)、映像の企画と制作を開始する。
●1986年(昭和61年)、麻布のアクセサリー店よりの依頼で、120年前の貴重なスクエアピアノを「音のメルヘン屋」に持ち運び、演奏、録音が行なわれた。

読売新聞掲載記事 |

朝日新聞掲載記事 |
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●1989年(平成1年)、フジタ工業「福岡ツインドーム」等の映像を制作する。
●1990年(平成2年)〜、このころからレコードが姿を消し、CDへと時代が移り変わる。「音のメルヘン屋」は、CDの時代に変わっても、「あなたの歌声を吹き込み、この世で一枚だけのCDを作る。」という精神は変わらない。
●1993年(平成5年)、シンガーソングライター「KOUJI」のプロデュースをはじめる。
●1995年(平成7年)「KOUJI」メディアレモラス(ポニーキャニオン)からCDシングル「友よ」が久石譲のプロデュースにより発売される。
●1995年(平成7年)、創立者「三木宏」他界する。創立から29年目9月20日の事だった。数多くの音楽関係者が式に訪れる。
●1996年(平成8年)「KOUJI」メディアレモラスからCDアルバム「橋を渡る少年」が矢野誠のプロデュースにより発売される。
●1999年(平成11年)「KOUJI」「SOUNDSUNレコード」からCDアルバム「opera」が市川道利のプロデュースにより発売される。
●2001年(平成13年)、世紀を超え、創立35年を向かえ、様々な人々が駆け抜けた「音のメルヘン屋」も、世代が変わり、時代も変わり、「音のメルヘン屋」の名を知らなかった若者達の手によって、「メルヘン村」プロジェクトのイラストボードが、倉庫奥深くより発掘され、新たに「メルヘン村ネット」計画始動。
●2003年(平成15年)、レコードをCDへと復刻する業務を開始。 |