KOUJIのこと (田家秀樹ライナーノート) 1995.5
最初にテープを聞いた時、軽いめまいのような気分に襲われてしまった。衝撃とか感動などという類いのものではない。正直に言ってしまえば「何だ、これは」という当惑のようなものだ。今までに出会ったことのないものに触れたという直感だったのかもしれない。森田童子を連想させる弱々しげなハイトーンのヴォーカルは、暗闇から助けを求めているようで、一瞬テープを止めてしまいたくなるほどなまなましかった。
KOUJIのことを語るには、いくつかの背景については触れなければいけない。すでにNHKのニュースでも取りあげられているように彼はいわゆる不登校である。小学校6年生から学校に行くのもやめてしまったという。自主制作CDを作ったのは13歳だったことになる。ただ、僕には、そのことよりも彼の環境のほうが重要に思える。「音のメルヘン屋」という名前を聞いたことのある人は多いはずだ。70年代の初め、「あなたの歌をレコードにします」というアイディアでマスコミにもかなり注目された街のレコード工房である。インディーズのはしりだったとも言えるのだが、それを主宰していたのがKOUJIの父親だった。一方で学園祭のイベントをプロデュースしたりという、「音楽の現場」の担い手でもあった。当時のフォークやニューミュージックのアーティストたちのかなりの数が、ここを通過したはずだ。したがって当然のように父親のスタジオやオフィスには「日本の音楽的遺産」とも言える貴重な音源も残されており、KOUJIはその中で育った。学校にいかなくなった彼は一日中スタジオにこもっていたというのだから、そこで何を感じ取っていたかを知りたくなるのは僕だけではないだろう。しかも、彼には歌いたいことや、歌わなければならないことがとめどなくありそうだ。
なぜ、今なのか。「早すぎるのではないか」率直にそう思った。変声期前の彼の声は、一年もしないうちに変わってしまうのは目に見えているからだ。本人はそのことを承知の上で、デビューすることを望んでいるのだという。だれにでも、その年齢でしか歌えない歌がある。そして、そのことで羽ばたこうとする人間を止める権利はだれにもないだろう。
シンガーソングライターにとって作品は記録である。13歳で曲を書くこと自体は珍しいことではない。多くの才能あるアーティストには、そんな「前史」がある。ただ、それはあくまでも「前史」であり、後になってあきらかにされたものである分、多少の作為性がないとは言えない。KOUJIはそのことから作品として提出していこうとしている。「青春の門」という大河小説がある。仮に彼が、今からシンガーソングライターとして成長を続けて行くとしたら、その先に描かれて行くものは何だろう。彼はすでに日々変わり始めている。目の前のあらゆることに溢れるばかりの感受性を総動員し、自分の想いを表現しつつある。言葉メロディー。それが彼にとっての生きる証なのに違いない。シンガーソングライターとしてだけでなく、詩人として注目される日が来るかもしれない。ジョン・レノンが死に、佐野元春がデビューした1980年生まれの少年の第一歩、これが「序章」であることだけは間違いないだろう。 |